色あせてしまった琥珀色の世界。懐古的で幽玄、そして虚ろの場所。
―――ぼくはそこで、剣をみつけたんだ。とっても強そうだった。だからぼくはそれが欲しくて、おじいちゃんにないしょでその剣であそんでたんだ。そしたらころんでしまって右のうでをきっちゃって、いたくはなかったけどこわくて泣いちゃった。それからおじいちゃんからすごくおこられて、そのあとその剣のことを話してくれた。もうさっきのなんかわすれちゃうぐらい楽しかったんだから―――
誰かの声が聞こえる。何年も前に聞いたような声と思い出話が。
気がつくと、その声の主である少年が目の前の軒下に座っており、真琴に向かって話しかけてくる。
「おにいちゃん、どうしてここにいるの?」
「それはね、ここが夢だからだよ」
自分の意思で話している筈なのに、勝手に口が動いているかのような感覚がする。しかしそんなことを気にする隙を与えないかのように少年は語りだす。
「そっか、ゆめだからか。ぼくね、おにいちゃんにたのみがあるんだ」
「なんだい?」
「それはね、ぼくを――――しい。俺はもう疲れたうえに、それに終わらせることも出来ない。だから―――以外にない」
科白の途中から声音が変わっていき、最後は澄んだ青年の声へと変化して、不可解なことを言ってくる。目の前の少年も、二十歳ほどの青年へと姿を変えていた。銀髪碧眼のその青年は、何の表情を浮かべることなく淡々と話してくるが、何故か最初と最後の一単語ずつを聞き取ることが出来なかった。
真琴はそれに驚くことなく、優しく一言「わかった、約束するよ」と、その青年に言った。
すると回りは白い光に包まれ、目の前の青年すら見えなくなっていく。青年が何か喋っていたが、聞き取ることは出来ずそのまま光が全てを包み込み―――
そこで、目が覚めた。
第2話 遺言の真意と
目を覚まし辺りを見渡すと、もう夕闇迫る頃になっており、紅い夕日に照らされたこの部屋で真琴は、祖父からの理不尽な意図が分からない遺言を見て、それからの記憶が無い事に気付く。詳しいことは分からないが、大方気絶でもしていたのだろう。
頻繁に気絶するような虚弱体質ではないが、大きなショックを受けるとたまにこのような事が起きる。ある時それが非常に気になって考え続け、結局答えが出てこず伯父に相談すると「多分な、お前の精神は人より少ないんだよ。俺は医者じゃないから知らないけど、まあ簡単に言えばヘタレってことだ」などと笑い飛ばし、反感を覚えた真琴は一週間ほど伯父とは口を聞かなかった、と言う事もあったのだった。
夕焼けは赤々と軒下を照らし、まだ明かりを点けなくとも本が読めるぐらいの明るさを保っていた。
真琴は思い出したかのように、祖父の遺言をまじまじと見つめる。いくら見つめようと文面が変わる事は無い筈だが、夕陽に照らされているそれはうっすらと文字を浮かび上がらせていた。
それを不審に思った真琴は、遺言書を夕陽に照らしながら再度覗き込む。桜花荘なるアパートの事、勝手に進められていた退学の事、それらの影かのように薄黒く文字が見える。
ふと遺言書へ少し力を入れた指でこすってみると、紙が擦れるような音と共に、一枚だった遺言書は二つにわかれた。
真琴は奥にあったほうの紙切れを拾うと、読み始めた。
真琴よ、これを見つけたお前は様々な疑問に苛まれている事だろう。
全て納得出来る様な言い訳など無い。だが、それ相応の事はある筈だ。
まず、何故学校を退学させたか、それはお前にはもう何者にも縛られずに生きて欲しかったからだ。
今は、学校を出ようと出まいと、そんなのものは関係の無い時代だ。いずれはそんな事が当然となる嫌な時代が訪れるかも知れないが、当分はそんな事は起きないと踏んで辞めさせた。
そして、桜花荘。このアパートは余っている土地を有効活用させようと建設した、大いに潤っていたときの残り香だった。しかし結局誰も住まわせず、物置代わりに使っていただけだったのだが、わしが死んでからお前にその管理を任せる事を思いついたわけだ。
学校を辞めさせた事と矛盾するが、何でも自由だと良くないからな。妥協してくれ。
この家は奴に任せる事になっており、奴には真琴をここから出すようにも命じている・早急に奴と連絡を取り、手続きを完了してくれ。
尚、これを見つけられなかった場合は新月の夜、奴に全てを任せているゆえ、見つけている事を祈る。
追伸
あの刀はお前に相続させよう。必ず役に立つ筈だが、それを振るう相手を見誤らぬようにな。
真琴の疑問が全て書かれていたが、やはり納得はいかない。
―――伯父と祖父の強力な合体攻撃に太刀打ちできるわけもなく、妥協している自分がむなしい。それに、最後の「奴に全てを任せている」とはどういう意味だったんだろうか。大方予想通りになると思うけど、それらも含め伯父を問い正してみよう。
そう思い真琴はゆっくりと立ち上がり、電話を置いている一角まで歩いていった。
受話器を手に取り、震える指で伯父の家の電話番号を押していく。この先に起こる事が容易に予想出来ると言うのに、指の震えは収まってくれない。
三回ほど回線を繋ぐ音がして、伯父は出た。
「もしもし」
「……伯父さん僕だけど、少しいいですか?」
「どうした?お金の相談以外なら大方は乗ってやるぞ」
「いや、あの…おじいちゃんの遺言書を見たんですけど」
「そうか、新月は明日だからな、もし連絡がなければまた面倒事だと思っていたが、読んでいたか」
誰が聞いてもわかるぐらい、伯父は嬉しそうな声を出す。その事から、祖父から任されていた事をするのはあまり気が乗らなかったのだろう。
「そ、それでもし僕が気付かなかった場合は何をするつもりだったんですか?」
「そりゃ一番手っ取り早い方法で、お前を家から出し桜花荘へ住まわせるだけだ。まあそんな事はどうでもいい。明日出て行けというのは難しいだろうから、明日これからの自宅を見に行って、それから荷造りをすれば明後日には出て行けるな。そういうわけだからよろしく」
と、一方的にまくし立て伯父は電話を切り、残された真琴の受話器からは無機的な音が響く。
それから夕食を食べ風呂に入って寝た、と言う断片的な記憶しか残っていない。唯一はっきりと覚えている事は、眠る直前に呟いた一言だけだった。
「まったく、どいつもこいつも…」と。
翌朝、時間がゆっくりと流れているかのような心地よい夢と現実の狭間にいた真琴の耳に、響きが良いとは言えないような音が聞こえ出し、それは次第に嫌でも真琴を覚醒させようとしている。
いつまでたっても鳴り止まぬそれが、電話の呼び出し音だと言う事にようやく真琴は気付き、寝ぼけ眼のまま大儀そうに電話を置いている一角まで歩き出す。
何度も何度も催促するかのように流れる呼び出し音の発生源を、薄目のまま恨めしそうに一瞥して、電話に出る。
「もしもし、椎名ですけど」
「おはようございます、黒川です。昨日は途中で切ってすいませんでした。それで、桜花荘の事なんですけど…聞いてます?」
「…」
一度は目覚めたものの、睡魔が真琴を夢の世界へ誘おうとする。その為、電話の女性の声は殆ど聞こえていなかったのだった。
「もしもーし、おかしいな……あっ、後ろに鉈を持った男が!」
「ん…え!?」
完全に眠っていなかった為か、本能的な焦りや恐怖が睡魔を完全に撃退させたのだった。だが、突然そんな突拍子のない事を言われてパニックにならない人間はいない。真琴もその例外ではなかった。
「えっ嘘…うわ―――って誰もいないじゃないですか。嫌がらせですか?」
「寝てたんですね、人の話を聞かずに…」
電話口の―――黒川と名乗るその女性は、今にも消え入らんかのように沈んだ声で真琴に抗議をする。
「すいません、僕が悪かったんですから、その。勘弁してください」
「じゃあ、約束どおり桜花荘を見せてくださいね。一度は自分の住むところを確認しなきゃ。その時にでも、何か奢ってくれたらお姉さん嬉しいな」
「あれ、そんな約束しましたっけ?」
「酷い、昨日の約束すら覚えていないなんて」
女性はおろろと泣き崩れたかのような声を出し、真琴を追い詰める。
「あぁもう、すいませんちゃんと約束を果たしますから許してください」
「それと、餡蜜でも奢ってください。その位してもらわないと許さないんだから」
さっきまでの泣きそうな様子が嘘のように、急に調子の良い事を言ってくる。真琴はこの手の事に騙されやすく。伯父からも「詐欺にだけは気をつけろよ」と言われるほどだった。
「う…わかりました。時間は何時からです?」
「今十時半だから、午後の一時に駅前で待ってます。その時間帯ならあまり人がいないから、お互い解り易いだろうと思いますし」
「わかりました。ではその時間にお会いしましょう。では失礼します」
「はい、よろしくお願いしますね。椎名さん」
受話器を置き、今朝からの流れを整理する。何度考えても昨日約束を交わした記憶が出て来ず、ただただ首を傾げるだけだったが、まあいいやと真琴は寝巻きから私服へと着替え始めた。
特に着飾るようなタイプではない為、特に時間もかからずスムーズに着替えを済まそうとしていたが、ふと視界の片隅に見慣れぬ物があることに気付き、下半分だけ寝巻きと言うなんとも情けの無い姿でそれを見つめる。
見紛う事無いそれは間違いなく、昨日抜ききれなかった日本刀だった。昨日持ち込んだのだろうか、全く思い出すことが出来ない。
遺言書の追伸に書かれていた刀の事を思い出し、長谷部国重と言うらしいそれを手に取る。
なんとなく昨日と同じように、鞘から刀身を抜こうと鞘を握り右手で柄を引く。昨日抜けなかったのが嘘かのようにするりとそれは抜け、美しい銀色に輝く刀身を晒し出す。
試しに両手で持ち、我流ながらの構えを取り何度か振るってみる。すると、素振りをしているだけなのに、何かを斬るかのような手ごたえがあったような気がした。
けれど何も無いところを斬ろうが手ごたえなどあるわけがないと思い、特に気にすることはなく素振りを続けていたが、本来起きる予定だった十一時にセットしていた目覚まし時計が部屋中に鳴り響くのと同時に、まだ朝食すら取っていないことに気付き急いで刀をしまう。
そしてまだ着替えていない下半分の寝巻きを私服へ着替え、いつものように居間に置いてあるラジオをつけ、台所へと移動する。
ラジオからはいつものクラシック番組が流れており、日替わりで楽しませてくれているが、今日はバッハの管弦楽組曲より「アリア」が流れている。別れなどをイメージさせるのは曲調が叙情的ゆえか、なんとなく今の真琴の心情を代弁しているかのようでいつも以上に心地よく感じた。
冷蔵庫を開けると、買い置きしていた食材が中の空間を殆ど埋め尽くしていた。その中から卵と鮭と作り置きしていた味噌汁を取り出し、それぞれ調理しだす。数年前から料理は真琴担当の仕事となっていたので、このぐらいは朝飯前だった。
てきぱきと調理を終え、温め直したご飯と味噌汁、そして目玉焼きと焼き鮭をそれぞれ盛り付け、几帳面に両手を合わせ一言「いだだきます」と言ったうえで、真琴は冷蔵庫の中身はどうしようかなどとどうでも良いことを考えながらゆっくりと食べ始めた。