小字雨女切・・・昔は人が沢山住み活気だった地域だったが、過疎化の進む今では、人が住んでいる家と廃屋の割合が五分五分という現状で、昔は外を歩くと話声がいたるところから聞こえたが、今となってはそれも殆ど聞こえない。


その中の一つの荒れ果てた廃屋の前に、一人の女性が佇んでいた。

その女性は悲しそうな顔で、廃屋の玄関の前に立ち、こう言った。

「ただいま、おばあちゃん・・・」

その女性の名は市川信子といい、都会で英語の教師をしている。祖母がここの生まれで、昔の記憶を頼りに母に話したところ、この島の場所とこの家を教えてもらい、ここに辿り着いたが、今となっては雨風などでぼろぼろになっており、人が住んでいたとは思えない姿だった。
しかし、都会の廃墟のように落書きや人為的な破壊は全く無く、長い月日がまるで、この家を土に還そうとしてるかのようだった。

―――昔この池に落ちておばあちゃんに助けてもらったっけなあ・・・

そう呟くと畑側の池を見た。この池は湧き水なので干上がることは無かったのだろう。

―――今でもはっきり覚えてる、まだ幼稚園くらいの頃、隣のあの子と土で川を作って遊んでて、水を汲みに行ったら落ちちゃったんだっけ・・・

その池を見つめながら、一つ頭に疑問がよぎった。

―――あの子は何処に行ったんだろう・・・

―――さよならくらい言いたかったな・・・

そんなことを考えながら、玄関を空け中に入ったが、中は埃まみれで、頭をぶつけて泣いた柱くらいしか、当時を思い出させるものは無かった。

殆どの部屋を見終わって、二階に行き奥の寝室を見たときに、何か懐かしいものがあるような気がして、近くに行き手にとって見てみた。

―――おばあちゃんの付けてたエプロンだ・・・

そう思うと頭の中に祖母の笑顔が浮かび、ひとすじの涙が頬を伝った。

エプロンに祖母の温もりでも感じたのだろうか、埃まみれのエプロンを抱きしめながら、ゆっくりと階段を降り外に出て、泊まっている叔母の家に帰った。






                  小字雨切女/古田家居間
市川 信子     前日/23時18分15秒





―――お盆のゆらゆら燃える迎え火に、蛾が寄り付きゆっくりと羽が焦げて、苦しそうにもがきながらながら地に落ち、やがて少しずつ動かなくなり、永遠の眠りにつく―――

――――――絶望――――――

―――まるで、これからの島の運命を表しているようだった―――




「信子ちゃん、今日は絶対に外に出ちゃだめよ。」

縁側で涼んでいる市川に、西瓜と麦茶をお盆に載せたものを渡しながら、叔母のよしえは言った。

「分かってます、叔母さん」と麦茶を右手に持ちながら笑顔でこう答えた。

―――いくら迷信でも、島中でここまで徹底する必要があるのかな・・・

「分かってます」と笑顔で返事しながら、内心こう思っていたが、叔母の言うことに従うことにした。

「明日は朝早くの船で出るんでしょ、もう寝たほうがいいんじゃない?」

 団扇で顔を扇ぎながら叔母は、市川にこう尋ねた。

「ええ、じゃあ11時半には床に入りますので。」と答えて寝る準備を始めた。

「ではおやすみなさい」と歯を磨き、叔母に軽く会釈をして寝室に向かい、蚊帳をくぐり布団をかぶった。

―――明日でこの島から都会に帰るのか・・・・

―――できれば帰りたくない、いつまでもここに居たい・・・

と、寂しい気持ちをかみ締めながら眠れずにいた。

しかし皮肉なことに、この「いつまでもここに居たい」と望む気持ちは、現実に叶えられることになる。


―――眠れない・・・

明日には故郷を離れてしまう寂しさからか、布団に入っても目が冴えて眠れずにいた。

ふと時計を見ると23時58分だった。

―――明日からまた、都会の雑踏にのまれることになるのかな・・・


―――もうちょっとゆっくりしたかったな

そんなことを考えているうちに事件は起きた。

―――ウゥオオオォォォーーーーーという、思わず耳を塞ぎたくなる様な音が聞こえてきた。
  
―――サイレンである―――

「何なのこの音は!」と状況が理解できずに飛び起きたのも束の間だった。

―――ガタガタガタガタガタガタガタ―――

と大地が揺れ、食器や金魚鉢などをひっくり返した。

「今度は地震?」とパニックになりながらだんだん意識が薄れていき、忌まわしいサイレンの音を聞きながら気を失った。




―――・・・・・ハッ―――


サイレンの音を聞いて気を失った市川は目を覚ました。

―――あ、叔母さんは大丈夫だろうか・・・

そう思った後すぐに、叔母の所へ駆け寄り状況を確認しこう尋ねた。

「叔母さん、大丈夫?私よ分かる?」

すると叔母は、だるそうに枯れた声で

「ワカルワノブゴジャンデジョ・・・ヒュー ヒュー・・」

「よかった、怪我は無いですか?」

「ダイジョウブヨ・・・・クックック・・ヒュー・・」

と、不気味な笑いを浮かべながら答えた。

様子が少し変だなと思いながらも、怪我が無いのなら大丈夫だろう。と叔母のことを考えているときに、祖母の廃屋が頭に浮かんだ。

―――あの家は無事だろうか・・・―――

きっと大丈夫だろう。と思っていながらも、内心とても不安だった。
その理由は、家が崩れると自分と祖母の思い出まで崩れるように思えたからだ。

(怪我も無い様だし、すぐに戻ってくれば大丈夫かな・・・)

「叔母さん、私はおばあちゃんの家の状態が心配なので見てきますから、少し待ってて下さいね。」

「クックック・・・」

相変わらず叔母は、不気味な笑いを浮かべていたが気に留めず、台所から懐中電灯を取り出して、祖母の家に向かおうと玄関の扉を「ガラッ」と空けた時に、目の前の不気味な光景に立ちくらんだ。

―――空が赤く、血の様な赤黒い雨が降り注ぎ、この世では無いような様子だった。

「何よこれ・・・・」

地震とサイレンの後に、突如として変わった島の様子に戸惑ったが、早く無事であることを願っている廃屋を見て、安心感を得たかったのだろう。これは夢だと何度も何度も、恐怖心を紛らわせるかのように、心の中で叫びながら祖母の廃屋へ向かった。