---------------あるアイダホの場末のバーに1人の色の無い若い男が入ってきた。

その男は店主にウィスキーをボトルキープで頼むと、その場に居合わせた工夫達と飲み比べを始めた。やがて店内の8割方の人間が泥酔すると、その男は席で1人また飲み始めた。あまりの酒豪に驚いた店主が彼にこう聞いた。

金の心配はしてないんだがお前さん顔がネーティブアメリカンみたいに真っ赤だぞ、と。

すると彼は間髪居れず自分の経歴を語りだした。

自分は祖父の代からカリフォルニアの漁夫であり、今こうして自分が内陸の町で飲んだ暮れてるのは、ある晴れた日に漁に出かけると、潮の流れにのってきたタンクローリーほどもあるマッコウクジラが自分を釣り船ごと飲み込んでしまい、そのマヌケなマッコウクジラが数時間後消化不良を起こして波打ち際に打ち上げられた。

居合わせた漁夫達は予想外の獲物に喜び、その場で解体作業を始めたのだ。気が付くと自分の目の前に光が差し、数人の漁夫が自分をまるで幽霊を見るかのような顔つきで覗き込んでいた。

一瞬自分はもう死んでしまい、また新たな母体の元にこの世に生まれたのかと思った、としきりに彼はのたまった。しかし驚くのはこれからだぞ、とも彼は言った。

自分の身体には色素がなくなっていたのだ。鯨の体内で酸性の胃液によって皮膚や髪の毛から色素が抜け落ちてしまったという。なるほど、彼の身体には色というものは存在せず、ただ漠然とした姿があるだけであった。

だから、俺の身体に色はない。そんな俺の顔色なんかあんたにゃ分かりっこないのさ。

故におやじさん、あんたはもっと酒を持ってこなけりゃならないんだ。もっと上等で年代物のウイスキーとかをな。店主は嘲笑したが、なるほど上手い話ではあると思い店の奥のワインセラーのあるチェンバーへと向かった。






                     東京都自衛隊指定空路上空 ブラックホーク(戦術輸送ヘリ)内
吾平 正希        2日前/17時05分58秒




----吾平一尉、本日は本州上空から日本海まで夕日の絶景のフライトをお楽しみ下さい。


----ああ、到着時刻にはビーコン(信号照明)しか見えなくなっていそうだけどね。


 戦術輸送ヘリ「ブラックホーク」が東京都市谷の陸上自衛隊ベースを飛び立って数分。乗員数4名のキャビンの中で、吾平と呼ばれた若年の隊員がパイロットと他愛の無いやりとりを交わしており、その最中彼はノースリーブの黒いパーカーのポケットから日焼け止めクリームを取り出し、それを体全体に塗りこんでいた。

吾平の肌は全身透き通るように白く、そして長めの頭髪もガラス繊維のような透明感のある光沢を放っていた。

彼は生まれつきのアルビノで、彼をよく知る者もそうでない者も彼を他人と識別する際にその独特な容貌が大変際立った。


----お前は何でいつもビーカーの底にこびりついた沈殿物ばかり見てるんだい。


----今日からお前は「ビーカー猫」だ。


 防衛大学化学理工学部を卒業した後、彼は都内駐屯の第32化学防護連隊に所属。その中でも異端の目を向けられており、いつしか白猫のような風変わりな外見に加え変わり者な性分から「ビーカー猫」という突拍子も無いあだ名を付けられていた。

眼前には他の2名の乗員と挟んで、棺桶ほどもある大振りなトランクがおいてあった。「観測機器一般 城聖大学理工学部」と蓋に張られたラベルには書かれていた。

吾平はこの中に、どういった目的で使われるものが入っているのかを承知していた。しかし、何ゆえこのようなカモフラージュを施さなければならないのか。覆面任務で不審船の捕獲へ行くわけでもなかろうに、このようないでたちをしなくてはならない理由は何なのか。

彼は苦言そうな表情を浮かべつつ軽くその棺桶を足で小突いた。


----こいつは「戦う科学屋さん」だ。


 彼が異端視されている理由がもう一つある。


基礎体力的には他の前線戦闘隊員に劣るのではあるが、彼はいつどこで取った杵柄か自動小銃、機関拳銃、各種拳銃等の銃火器類をいとも簡単に扱うのであった。

レンジャー隊員に屋外射撃場で50/100mレンジでの拳銃射撃。300mレンジからのライフル射撃を行ったが、どれにおいても明らかに平均的な普通科ライフル隊員並みの射撃技能を持ち合わせており、余りの驚きにトレーニングにたちあったレンジャー隊員が彼にどこでそのような技能を身に付けたかを聞くと、吾平はにやにやしながら海外留学時代、毎日のように地元の射撃場へ通っていた事を話してくれるのだ。

そして今、上層部から招集がかけられているわけなのだが、如何せん吾平の心中でこの「お仕事」を委任された経路が今だ漠然としていた。

自分の目の前にいる2人の男。1人は大学時代からの顔見知りである。

もう1人は-----


----任務については他言無用だ-----


 ふてえやろうだな、気色の悪い目付きをしてやがる。吾平は何度思ったことだろう。ローターの回転に合わせて、赤い日の光が時に遮られつつも、目の前のシートに座っている2人の男の表情を断続的に吾平に伝えた。

右手の男のネームプレートには「近城」とあった。彼は防衛大学時代よりの先輩であり、所属している小隊の誇る腕利きの狙撃隊員であった。

自分と彼とは好対照であった。故にお互いの無い部分に惹かれあいこのような師弟関係を築けたのだろう。その意識は自衛隊という閉鎖的な組織の中に放り込まれた後にも両者間に続いており、時折廊下ですれ違う時に互いの尻を叩きあうのだ。

だから、文部科学省の自販機の前で声をかけられた時もさほど不思議に思わなかった。


----吾平、可愛い後輩。ちょっと頼まれてくれないか。


 無意識の内に吾平は近城の顔をまじまじを見てしまっていた。それに気づいた近城はきょとんとした顔で目を見開き吾平を見た。

どうしたものか、後輩よ。吾平はにっと愛想笑いを浮かべ、そのアルビノの白い肌よりも更に白い歯を近城に見せた。それに安心したのか近城は縦に首を振るとその視線をまた機外へと移し、スーツの中からKENTを取り出し、激しい風の中で着火させようと奮闘しはじめた。

今度は相手に悟られる事の無いように視線を左手に移した。吾平はすぐにはそのもう1人の人物の顔を直視しなかった。断片的な光の動きの中、いつ相手に自分の視線を悟られないかと内心冷や冷やしていたのだ。

先刻の人物は安全だ、しかし彼は危険な匂いがする。吾平は唇を噛んだ。故にただ彼はその人物の着ている真新しいスーツの胸のネームプレート凝視するばかりであった。

ネームプレートには「柘植」とあった。

耳に触る雑音が数秒続いた後に、パイロットがヘッドセットに話しかけた。


----あーコントロールタワー、こちら陸上自衛隊『すずかぜ』、気象状態は良好。それにしても今日はやけに空が赤い。


 吾平は両サイドが解放されたブラックホークのキャビンから、西の空を見つめていた。現像室の如く紅蓮色に染められた空をバックに、恰もドックに集結しゆく艦隊かのように放射状に西の空へ集まる夥しい数の雲。その雲の流れは大変自然的で、背後からあたる赤色との間に、太陽と同色の水彩画の様な色彩の部分と、重量感と密度に富んだ暗部のコントラストを投射していた。

それは精錬所の鋳型に蓄えられた駱駝色の流体のようでもあり、これまたデイヴィッド・I・マッスンの小説に出てくるような探検隊が極地で発見した「地獄」へと続く洞穴を彷彿とさせるのだ。


----------------地獄


 ふと吾平の脳裏に、彼が幼い頃に二階にある父親の書斎からよく持ち出してきては母親の焼いたクランベリービスケットを数枚袋に詰め、家の付近の廃屋に足を運んでそこでその画集の中に広がる世界に我が身を投影し、沈思に耽っていた事が淡々と思い出された。

確か「地獄」を題材とした水彩画の画集であっただろうか。エアブラシと様々な筆で創造されたその世界は悪魔的且つこの世の深遠を我に問いかけてくるようでもある。今彼が感じている高揚感は、その時のそれと非常によく似ていた。


----なぁ、吾平------------------


 ふと自分の名を呼ばれた事に気づいた吾平は、声のした方へ向き直った。見ると心配そうな顔付きで自分の顔を覗き込む近城の姿があった。分かりますか先輩。

数秒間、吾平と近城は互いを見合った。長い付き合い故に互いの機微が分かるのだが、それ以上に何か只ならぬ、我々の常識をかくも一蹴してしまうような絶対的な存在の接近を示唆せずに置かない感慨が吾平を支配しており、近城もまたそれを察していた。

----予兆。それが先刻のあの甚だしい赤みを帯びた夕焼けに「地獄」を投影した自分に感じられたものなのだろうか。

一瞬もう一度、夕日に目を向けた吾平ははっと息を呑んだ。



夕日をバックに浮かぶ積雲のひとつが-------------------------


あの画集で見た地獄へ続く大きな口のような形をしていたのだ---



彼はその恍惚たる光景を食い入るように見つめていた-----