羽鳥岬/入身の鳥居沖
高祖 文哉        前日/13時18分15秒





 曇天の下を、八月とは思えない冷たい海風が吹いている。見上げると、鼠色の雲が速い速度で東の方角へと流れていた。波頭が絶壁に当たって白く砕け始めている。遠泳を行うにはぎりぎりの状況と言えた。高祖家の次男、文哉の乗った漁船も、立ち上がるのが困難とは言えないまでも波によって揺さぶりをかけられていた。 不思議と、台風シーズンなのにも関わらず、この忌まわしい「御岬廻り(おさきまわり)」という行事が荒天によって中止されたことは無いのだ、と言う。それがどの程度本当なのかは分からないが、少なくとも文哉が今まで経験してきた「御岬廻り」が荒天によって中止されたことは無い。それを島の人間は「あんさいさん」の神通力だというが、だとしたらこの天候は何を意味するのだろう、と彼は考えた。不振が続く島の漁業と同様、かの「有難い」闇斎菩薩(あんさいぼさつ)の神通力も徐々に衰えてきたことの証左だろうか。それとも何か別の意味があるのだろうか・・・。

 「かけまくもかしこきあがすめみかみのおおまえに・・・」

 神社の宮司、つまり文哉の父、宗蔵が祝詞(のりと)を奏上しているのが、風に乗って文哉のいる船にまで聞こえてきて、彼は物思いから現実へと引き戻された。(ぬさ)をうやうやしく振るう父と「矢当雄(やとう)」たち5人、それと列席を許された氏子たちの姿が崖の上に見える。父の隣に袴姿で神妙そうにしているのが兄、一臣だろう。いずれ宮司になって幣を振るうのは一臣の役目になるはずだ。その「いずれ」があればの話だが・・・。

 海に向かって祝詞を奏上していた父が一礼すると、今度は「矢当雄」たち5人の頭上に幣を一度、二度と振る。いよいよ始まるのだ。「御岬廻り」の「御岬廻り」たる所以、生死を懸けた遠泳が。

 5年に一度、盆の中日の前日夜から始まるこの「御岬廻り」は、島の外部にほとんど知る者の無い秘祭だ。水哭島周辺の地域に住む者でさえこういった祭りが行われることは噂でのみ知る者がほとんどで、祭りの意味を知るものは皆無といっていい。
なぜならこの祭りは「人身御供(ひとみごくう)」の候補者を選び出す過程に他ならないからだ。もし、この「御岬廻り」で選ばれた男たちが「必ず」行方不明になっていることが知れたら、島の内外で隠然たる権力を振るう高祖家と言えど、ただでは済まないだろう。

 行方不明になった男たちがどこへ消えるのか、文哉にもわからない。子供の頃、一度だけ祖父に尋ねてみたことがあるが、「海の底にもう一つ島があってな、そこでお姫様のために働きながら幸せに暮らすんだよ」とだけ教えられた。それでもわからずに祖父にしつこく食い下がったが、側にいた父にいきなり横っ面をはたかれ、「次男坊のお前が、それ以上知る必要は無い」とすごい剣幕で怒鳴られた記憶がある。このことを思い出すと、決まって脳裏をよぎるメロディーがある。祖母に歌ってもらった島の手毬歌の一節だ。

 神降りさんの言うことにゃ
 婿さん晩に連れられる
 行った先にもひいさまが
 寂し寂しで泣き狂い
 一夜しとねの千代八千代

 「神降りさん」というのは、「御岬廻り」で一番最後に岸に泳ぎ着いた者、つまり「本矢当雄」が島内の未婚女性から自由に選ぶ妻の内、特に初夜を過ごした後発狂してしまった女性を指す言葉だ。「本矢当雄」になった男は島内の未婚女性の中から自由に妻を選ぶ権利があり、「御岬廻り」当日その日の内に祝言(婚礼)を挙げる。そして初夜を共に過ごすことになるのだが、その夜、婿の男は失踪、そして花嫁のほうは軽いときはその夜の出来事の記憶の欠落、酷いときは翌朝発狂した姿で発見される。これが「神降りさん」だ。神が乗り移った、として、家の奥で大切に扱われる慣習になっている。

 手毬歌の歌詞の中では、夫がいなくなって「寂しくて」泣き狂うことになっているが、当然実際はそうではない。「何か」精神的にひどいショックを受けて発狂するのだ。何が原因で発狂するのかは、これもわからない。夫が失踪することと関連していることは間違いないが、「御岬廻り」の夜は外出が一切許されないので知る術が無いのだ。この「御岬廻りの夜は外出してはならない」という、島最大の禁忌を破ったものは「神降りさん」同様、発狂すると言われている。

 「やめろぉぉぉー!やめてくれぇぇぇー!」

 その時、突如として男の悲鳴が辺りに響き渡った。
 「修一!島田の叔父さん!俺が泳げないこと、知ってるでしょう!?お願いだから勘弁してください!後生だからぁぁぁー!!」
 矢当雄に選ばれた一人、杉原太一の声だった。逃げようとする太一を、二人の男が無理やり崖から海へと投げ込もうとして揉み合っているようだ。
 太一と文哉は、幼い頃から慣れ親しんでいる仲だ。島の子供は「御岬廻り」に備えて中学までにはほとんど泳ぎの達人になるが、中には最後まで泳げない者もいる。文哉とよく遊んだ仲間内で、泳げない太一は皆からよく馬鹿にされていた。文哉はそんな太一に同情のような気持ちを抱いていたものだ。島の網元、神社の宮司の家に生まれ、「矢当雄」になることは絶対に無い文哉は、彼に罪悪感を抱いていたのかもしれない。

 中学のときに、「矢当雄」に選ばれたらどうしよう、と不安で青ざめた太一に相談を受けたことがある。その時文哉は無責任にも「親父の破魔矢に当たるようなことは多分無いさ」と答えていた。その太一が、今まさに崖から海に突き落とされようとしている。

 少し間が空いた後、「うわぁぁぁー」という太一の悲鳴、続いて大きい水飛沫が海面に上がる。
 「た、助けっ!」
なんとか水面に浮かび上がった太一は、しかし水でぴったりと前髪が額に張り付いた顔を水面にのぞかせるのが精一杯のようであった。バタつく両手が空しく水面を叩き、バシャバシャと飛沫を立てる。
 儀式の作法では、たとえ溺れる者があっても矢当雄を助けることはできないことになっている。浮きつ沈みつしている太一が、助けを求めて必死の形相をこちらに向けてくるのに耐え切れず、顔を背けた文哉の視線の先にあったのは、この船の船頭である石場平助が、おぼれる太一に向かって両手を擦り合わせて拝む姿だった。
 「太一、堪忍な・・・堪忍な・・・」
 平助は、まるでそうすれば目の前の出来事が早く終わるかのように、目を硬く閉じて必死に手を擦り合わせていた。

 太一は激しく咳き込みながら浮き沈みを繰り返していたが、段々と沈んでいる時間のほうが長くなっていき、そのうちに「ごぼっ」と音を立てて水を飲むと、水中に沈んでいった。左手が掴むこと出来るものを探すように大きく振り回されたのが最期だった。

 その場に居合わせた誰もが正視に耐えず顔を背けるか、目を硬く閉じて拝むかしていたが、高祖宗蔵と一臣だけは真っ直ぐに太一が溺れる様を見続けていたようだった。文哉にはその表情までは見て取ることは出来なかったが、海面を見つめる兄の表情に笑みが浮かぶのを見たような気がして、背筋に戦慄が走った。
 (こんなことは・・・こんなことはもうたくさんだ・・・)
 こう文哉が思うのと、水面に新たに水飛沫が連続して3つ、4つと上がるのはほぼ同時だった。太一以外の矢当雄が自ら飛び込むか、突き落とされたのだ。忌まわしい儀式は続く。文哉は歯噛みした。